新聞記事の要約と飛躍は紙一重

姫女苑

24日に記載した日記です。 23日に記載すべき日記を24日付けで間違って記載したのですが、日付の訂正方法が解らないためです。それで、一日日付けをさかのぼって記載しました。
24日付北海道新聞朝刊の第1面の右端に主な記事の欄があります。「時代の肖像 数学はなぜ美しいのですか」作家の小川洋子氏を多分取材した記事を要約したような見出し欄で、この欄の最後に「数学や文学は、役に立たないからこそ美しいのだ。」とあった。
この欄からでは小川氏がそう結論したのか記事を書いた人がそう結論したのかわからなかった。いずれにしても乱暴な現実を無視した結論としかいえない文章であると思った。数学も文学も十分すぎるほど役に立っているのではないでしょうか。それとも役に立たない数学や文学が美しく、役に立つのは美しくないという意味なのだろうかと3面の記事を読んでみた。前述の記載はどこにもないので、これは多分記事を書いた人の結論と思われた。ただ、この記載とよく似た記載があった。長いのでその部分だけを以下に示します。記事六段目、「文学と数学のつながりを考えた場合、・・・中略・・・現実にはすぐには役に立たないかもしれないけれど、芸術性や美しさを感じることで、そこに人間の持っている精神の豊かさがある、と言えるののではないでしょうか」とある。多分ここの部分を要約されたのではないかと思います。3面の記事と1面の主要な記事の欄の記載を比較すると、「数学や文学は、役に立たないからこそ美しいのだ。」は、要約ではなく飛躍のように思います。作者は、「すぐに役に立たないかもしれないけれど、」と記事では述べているからです。作者は、「数学や文学は、役に立たないからこそ美しいのだ」とは3面のの記事を読む限り述べていないのです。3面の記事そのもにこのような飛躍はないのでしょうね。記事そのものが疑わしくなります。記事のあと書きを読むと、記事を書いた人はこのあと書きの趣旨を読者に知ってもらいたかっのではないでしょうか。作者も記事を記載した人も文学と数学が役に立たないものと思っておられるのでしょうか。「数学や文学は、役に立たないからこそ美しいのだ。」どうもこの文章に酔って記載したとしか思われません。私なら記事の最後を要約として引用します。たぶん欄に記載する字数が限られているので、「数学を理解する基本は、国語の力かもしれない」です。